堺晃一
堺晃一について語ります。
1986年3月11日生まれで四天王(上野、松岡、伊達、北村)世代。本当にこの世代は層が厚いです。飾磨工業、駒澤大学、富士通を経て29歳で引退。ちょっと早いかなとは思いましたが、セカンドキャリアの方が人生長いですからね。今は社業に専念しているそうで、お疲れ様でした。
戦績を振り返ります。
●自己ベスト
5000m 13:58(23歳)
10000m 28:36(25歳)
ハーフ 1:02:46(21歳)
マラソン 2:14:29(22歳)
長くなればなるほど持ち味を発揮するのは自己ベストにも現れていますね。欲を言えばマラソンでサブ10を果たして欲しかったなぁ〜。
●高校時代
兵庫を制するものが日本を制すと言われていた時代。西脇工業、報徳学園、須磨学園等の強豪高がひしめいており、全国大会の出場は叶いませんでしたが、キラリと輝くものを魅せてくれました。高校2年生の時の近畿駅伝では、1区29分38秒という全国トップクラスの記録を叩き出してくれてます。北村聡、松岡祐起、外国人留学生等の驚異的な走りの影に隠れていましたが、着々と実力を蓄えています。またフルマラソンにも出場し、3時間切りと素晴らしい記録を叩き出してくれました。
●大学時代
長い距離のエースとして駒澤大学の優勝にも貢献してくれましたね。大学1年の時は、怪我もあり、駅伝には出場出来ませんでしたが、2年からは層の厚い駒澤大でも箱根、全日本と頼りになる存在でした。スピード系のメンバーが多い中、長い距離で安定した成績を残してくれてます。全日本ではアンカーで優勝テープを2度も切り、4年時の箱根駅伝では9区で総合優勝の立役者となる快走を見せてくれ、アナウンサーにふとももが走っています‼️と絶叫されましたね。山登りの5区で力強い走りを一度は見てみたかったなぁ〜。またマラソンでも次に期待が持てそうなタイムで走破してくれました。
●実業団時代
富士通に入社しても力強い走りは相変わらずです。ニューイヤー駅伝の4区にも抜擢されて向かい風にも負けず、他チームのエースと互角以上に渡り合ってくれました。マラソンにも出場し自己ベストを出す等とても順調に成長してくれましたが、力のある若手が入社してきて道を譲る形での引退だったと思います。四天王と同じ世代だったんですが、色褪せず長距離業界を盛り上げてくれました。本当にお疲れ様でした‼️
伊達秀晃
伊達秀晃選手について語っていきます。
1985年4月11日生まれの四天王(上野、伊達、松岡、北村)世代。 大牟田、東海大学、中国電力を経て引退。大学時代は駅伝にめっぽう強く世界に通用するマラソンランナーになると思ったんだけどなぁ〜。四天王の中でも1番早く引退し、今は陸上とは関係してない模様で残念。
戦績を振り返っていきます。
●自己ベスト
5000m 13:37(21歳)
10000m 28:21(21歳)
ハーフ 1:02:08(19歳)
マラソン
大学時代に記録したタイムが自己ベストとなりました。まだまだ余力があって上積み出来そうだったのに。。とにかくマラソンに挑戦して欲しかった。
●高校時代
強豪の大牟田高校に入学し、頭角を現してきたのは高校3年の時。四天王の仲間入りとなる5000m13分代の記録を出し、駅伝でも主要区間で良い成績を残してくれました。世代4番手の位置付けでしたが、重心が高くきれいなフォームで当時から伸び代は1番だと言われてました。
●大学時代
4年間トラック、ロードで大活躍で出雲駅伝優勝にも貢献してくれましたね。特に日体ファンの私にとったら伊達、佐藤のWエースは別格の強さで憎たらしかった(笑)。1年の時の箱根駅伝2区では一人旅だったのにもかかわらず1時間8分そこそこの記録で一般の人からも注目される様になります。瀬古さんがマラソンで通用すると熱く解説していたのが印象に残りましたね。日本選手権にも出場し、トラックが得意とは言えない中で、10000m3位と日本のトップ選手に登りつめました。唯一の失敗は、大学3年時の箱根5区。風邪を引いていたみたいでしょうがないですが、優勝のチャンスがあっただけに本当に悔しそうでした。まぁでも、四天王の中でも序列が1番手の格付けになった大学時代だったと思います。
●実業団時代
世界に通用するマラソンランナーを多数輩出している中国電力に入社しました。オリンピック出場となった先輩の佐藤選手の練習パートナーを務める等、着々とマラソン出場に向けた下地を付けていると思ったのですが。。一度もマラソンに出場すること無く27歳の若さで四天王の中で最初にひっそりと引退したみたいです。中国電力と伊達選手は合うと思っていたんだけどなぁ。。怪我が致命的だったのか学生時代の輝きを実業団で見せることが出来ませんでしたね。マラソンにもエントリーはしていたのですが、一度も出場出来なかったのは、残念でしょうがないです。
北村聡
これまで一目置いてきた選手について語っていきます。
まずは北村聡選手から‼️
1986年2月4日生まれの四天王(上野、松岡、伊達、北村)世代。西脇工業、日体大、日清食品、サンベルクスを経て今は日立制作所女子陸上競技部の指導者を務めています。
武骨な印象の日体大を応援していてがっつりハマっていた時の大エース。オリンピックでメダルを取れると妄想してましたがマラソンで大成せず残念でした。。。日清食品は良い選手がたくさん所属してくるのですが、自主性を重んじているのか外見がチャラチャラしだしてあまり成長しているイメージが無いですね。
戦績を振り返っていきます。
●自己ベスト
5000m 13:36(24歳)
10000m 28:00(21歳)
ハーフ 1:02:26(24歳)
マラソン 2:27:15(25歳)
社会人三年目くらいまでで日本のトップ成績となる自己ベストを記録しましたが、その後は自己ベストを更新出来ませんでした。
●高校時代
駅伝名門の西脇工業に所属しながら一年生から主力選手として活躍しました。高校二年生の国体では5000m13分45秒の快走で一躍トップ選手となり高校駅伝では1区で安定した走りをして優勝に貢献しました。この四天王世代から高校生の実力が一段とレベルアップしましたね〜。安定した走りでどの大会でも外さないのはお見事でした^ - ^
●大学時代
日体大に入学して1年生からエースとして大活躍してくれました。三大駅伝全て主要区間で区間賞こそ取れませんでしたが安定した走りで上位進出に貢献してくれました。負けん気の強さも魅力的で応援していました。
●実業団時代
箱根駅伝のエース達が集う日清食品でも入社後三年間はトラック、ロードで大活躍してくれました。佐藤悠基を差し置いてエースとして君臨した時代もあって初マラソンは期待しましたが、30km以降に大失速。ここから歯車が少し崩れていったと思います。その後は駅伝等にも出走しましたが、なかなか良い結果が得られず、29歳でサンベルクスに移籍。サンベルクスの実業団駅伝の初出場に貢献したところで引退。まだまだ若いのでもう一花咲かしてくれると思ったのですが。。
成績を振り返るとロードよりもトラックの方が得意だったのかなぁ。また箱根5区で足をつったように適正距離は、13kmくらいだったと思います。いずれ指導者として日本体育大学に戻ってきて欲しい‼️